日本人として
昨日の日曜日、日本語学校で偲ぶ会が行われました。
彼は私の両親と同じ年齢。
ずっと病気と付き合い、最近体調が良かったり悪かったりしておりましたが、それでもちょくちょく何かのイベントや集まりがあると、日本語学校に杖を付きながら顔を出してくれてました。
私もキッチンのボランティアに携わるようになってから、彼とは何度かお話しすることがあったのですが、昨日の偲ぶ会でたくさんの人が思い出話をしてると、彼がいかに偉大であったのか改めて感じるところがありました。
彼は日本生まれで移民してきた日系一世。
バンクーバーやそのほかの地域でもアメリカでも、日本の文化と日系の歴史を守るべく奮闘してきた方のおひとりでした。
うちらの日本語学校にもいろんな考えをだして、日本語学校の教育の在り方、方針、改装、それに向かって国内外に足を運んで、色んな人に頭を下げて学校のため募金活動をしてくれたとのことでした。
だから、今、私たちがこうやって子どもたちを普通に学校に通わすことができ、日本の文化、言語を次の世代に残していける。
戦後のカナダにおける日系の方への対応はとても厳しく、その後、時が過ぎたとはいえ、異国でも自分たちの文化を残していくという努力は、とてつもなく大変であっただろうと思います。
「日本人墓地もきれいに整備して桜を植えたい」と志半ばでの急な旅立ちでした。
毎日毎日、いつでも遠い未来を見据えて「日本人のために」活動してきた方でした。
最後に体調が悪くなったとき、「これからの日本語学校は大丈夫だ」と言われたそうで、最後の最後まで日本語学校のことを考えていたんだなあ、と。
私は日本が大好きです。
私は異国で暮らすようになり、さらに日本を想い考え、愛おしくなりました。
日本で暮らしていたら、こういう気持ちになっていたやろうか、と思います。
偲ぶ会でお話を聞いていて、彼も含め、偉大な功績を遺してくれた先人の方々のことを思いかえす、いい時間をもらうことができたような気がします。
先人たちが血と汗と涙と笑顔で残してくれた道筋を、新しい世代が引き継いでまた新たな道をつくり、次の世代に残していけるよう、私ができることとは。
異国で日本人として暮らすということ。
こんな偉大なことはできないけれど、「日本人であること」をいつも忘れずに生きていきたいと思う。
寂しいけれど、そんな素敵なお別れ会でした。
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