平凡な日々

 
 でもそれが一番幸せ。
 

結婚記念日

今日は結婚記念日です。





早くも14年。

まだまだ14年。




14年前のあの日は、本当に幸せの絶頂でした 。( いや、今も幸せですが ←とってつけたようですが)






今日は朝からドクターの診察にいき、検査結果を聞きに行ってきました。



以前やったマンモで引っかかり、再検査に行ってきたのですが、また半年後のフォローアップで経過観察です。




最近いろんなところが痛いだの、ダルイだの出てましたが、検査の結果、なーんにも引っかからず、結果。





お、と、し、ご、ろ。






ドクターの後は、免許の更新に行ってきた。





最近は便利にも、待ち時間を調べられるんで、センターまでダッシュで行くと、間一髪、私の後にはながーい行列でした。




これで遅れると仕事に間に合わんかったんで、本当にラッキーでした。





「番号をもらって、待ってる間に、これに記入しておいてね」と言われた紙切れを見たら








臓器移植の意思表示でした。





こっちもあるんや、って思いつつ、いざサインしようと思うと、ふと親と子どもの顔を思い出した。




私は脳死で戻る事ができないのであれば、使える臓器は全て使って頂いて、助かる命があればそれは良いんですが、ふと、残された人たち、特に子どもはどう思うだろうか、と






名前を呼ばれる前の10分間、ずっと悩んでました。





自分に準備がなかったために、結局今回は何もサインせずに免許手続きを終えました。




人間、いつどーなるか分からないんで、ちゃんとこういったことも話し合いをしておかないといけない、と思いつつ、私は実はこう言うことを決めるのに弱い人間、古い人間やったんやなあ、っと。






「私の人生自分で決めるし、子供たちにもそうしたことの理由を言って、理解して貰えばいいだけ」



とスッパリ言われそう。




その後仕事から帰って子どもたちに話をしたら、


「やめて」と一言言われた。







臓器移植の意思のあり方も「医療関係者から提供を申し出された時に、“残されたものが” 迷わない、提供を断った際に、罪の意識を持たないで済む、という意味があるのかも、と思ったり。








どちらにせよ、考えてなかったこの問いかけに悩まされて、話し合いをできる時間を持たないかん、と思った結婚記念日でした。