いつも気づきをくれる人
バンクーバーも心地よいお天気です。
今日は歯医者でした。
日本ではあんまり予防歯科的なことありませんが、こっちはクリーニングして虫歯を予防する、っていうのが基本です。
歯が命!
6か月ごとに私は歯医者にいって、歯垢除去とお口のチェックをしてもらいます。(ま、保険があるからやけど笑)
でも、これは本当にいいことやと思う。
小さい時は虫歯だらけで前歯なんてまっくろのボロボロ、いかにも昭和乙女でしたけど(うちだけ?)今は全く虫歯なし子です(普通ですか?)
そしてこの歯垢除去、機械で削ったあと、昔ながらのあの釘がたのやつでコリコリと擦り取ってくれるやり方なんですよね。
あれ、気持ち~~~~~~~。
でもへたくそな人がやるとめっちゃ痛かったりしますが、私の衛生士さんはとても上手。
それよりも何よりも私は彼女の人柄がとても大好きなんです。 かれこれ私のケアをしてもらって10年くらいになります。
彼女はSさん、パキスタン人で私よりも10才年下。
私と同じ、カナダ移民です。
とても聡明で私は彼女と話をすると、とても刺激になるし、嬉しいし、勉強になる。
何かしら資格を取るとなると、移民に立ちはだかる英語の壁。
彼女も長男が小さいうちから英語を勉強して、テストのスコアをとり、そして学校にかよい、衛生士になった。 だから「こたもこうしたらいいよ」って言ってくれる。
えらいよなあ~~~~(で、終わらせる私)って思ったのがかれこれ、うん年前?
そんな彼女が今日、「今、お母さんがきてるんだといって、かれこれ一か月、あと2週間でかえるんだけど、いろいろと子どもも見てくれるし、帰ったらご飯もできてるし、本当に助かる」って。
本当、お母さんっていいよね。
Sちゃんのお母さんはまだ若いでしょ? って話から、「Teenagerで結婚したんだよ」ってなり、「じゃあ、これから第2の人生楽しむときやね」って言ったら
彼女は何も隠すことなく、お母さんのお話をしてくれた。
彼女の母は5歳の時お父さんがなくなり、5人の子供を持つその母親は泣く泣く下の2人を手放さざるを得なかった。
「彼女はインドの孤児院でそだったのよ」って。
もうそれだけで私は衝撃的でした。
一緒に孤児院に送られた一つ上の姉は問題をおこして孤児院を退出しなくてはならなく、彼女は一人ぼっちで育った。
お母さんは一週間に一回しか来てくれず、18歳には孤児院を出ないといけないという理由で望まない結婚、母親に育てられた全ての3人の姉妹は大きくなる前に衛生の悪いインドで病気で亡くなった。
これを運命だけで片付けれるのだろうか?
結婚後、父と共に母親をパキスタンに呼び寄せて移民させた。
彼女は本当に苦労したし、悲しみもいっぱい味わった。
私は苦労してる、大変っていうけれど、彼女の苦労にくらべたらそんなこと言えないわ、って。
私もふと自分の母親のことを思い出した。
私の母も戦争時に生まれ、物ごごろついたときは貧乏で、履いていく靴すらなく、隙間風の入る親戚の鶏小屋の隣で生活した。
母はいつも「おばあさんは本当に苦労して兄妹4人を育ててくれた」と言っていた。
でも、私はちゃんと母の話を聞いてあげてたかなあって。
そういう話になると私は心が本当に苦しくなる。
なので、「そうか」っていって終わってしまう。
私はこの話を何回も聞くけれど、それ以外にどんなことがあったかとか、どんな苦労があったか、とかっていうのを知らないなあって、母の事を本当に知ってるやろうか?ってSさんの話を、口をおっぴろげながら聞いて考えてた。
旦那に今日こんな話をしてくれたんやあ、って話してたら、なんだかどんどん切なく悲しくなって半泣きになってしまった。
色々状況は違えども、お互いの母は苦労したんやなあって。
なんだか切ない一日になってしまった。
久しぶりにお母ちゃんに電話しよ。
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