ダメだったことは無駄ではない
今日は雨が降っております、バンクーバー。
先日、ちょくちょく集まる仲間達とウチ飲み。
こちらで出会った日本語学校の仲間です。
ポットラックといって、それぞれがお料理やデザートを持ち寄ってワイワイ。
日本酒あり、ワインあり、シャンパンあり、焼酎あり。
それぞれ酒を片手に美味しいお食事を摂りながら、ガチャガチャ、わいわい話してました。
ある友人が「最近すごい子どもの言葉にどう返していいのか分からなかった」と涙声に。
彼女の息子は12年生。
みんなが進学や道に進むための用意が出来ているのに、彼は自分の道が決まらず不安になり、実は2週間学校に彼女が送って行ってはいたけど、学校に行ってなかったと。
どうしても皆んながどんどん将来を決めて行く、でも自分は行きたい道が決めれない不安に押しつぶされそうで、不安で不安で学校に行きたくなかった、と。
それをぶつけられた瞬間、なんて答えたら良いのかわからなかったし、気づいてやれなかった自分が情けない。
これって自分の子にも起こるかもしれない事。
彼女自身も色々と大変な時期でもあったのですが、とても真面目すぎるところもあって
私たちもそんな気持ちがよく分かるし、うちらの子も将来をいつ決めれるかも分からないし、そう子どもが気持ちをぶつけて来ただけでもすごい事、 分からなかったら分からない、一緒にゆっくり見つけていけば良い、って言えば良いんだ、と話してました。
その中で1人の友人が「失敗や出来なかった事に恥じるとか、引け目をとる事なんてない、それを経験すると言う事には絶対意味があったのだから、決して無駄にはならない」と言った一言。
私は先日受けた面接から「今回は見送ります」と落選の返事をもらって、やっぱり凹んでいたのですが。
ここで他の人に伝えてる言葉が、まるで私に伝えてるメッセージなんじゃないかと思うくらい、心に沁みた言葉でした。
迷う年頃の子をどう支えていくか、時には迷って回り道したとしても、それは全て自分のものになる。
悩み、涙したことも、それは全て自分となっていつか繋がっていく。
そうやって、悩んでぶつかった時に助けてくれる友人たちに囲まれ、子育てしていける環境である自分も本当にありがたいと思った夜でした。
このブログへのコメントはmuragonユーザー限定です。