平凡な日々

 
 でもそれが一番幸せ。
 

まだまだ語る将来の夢

バンクーバー、今日は曇りでちと寒い。




今日は母の日です。





先日、友人からテキストメッセージが。



友人:土曜日の夜、暇?
私:集合?
友人:いや、集合ってわけではないけど、あなたと話したいことがあって、先にあなたに予定を聞いてみた。





話したいことってなに?




なんかええ話あるんかな? 



一緒にビジネスしようとか、ええ仕事ある、ってことかな?






と、また損得考えてる私。





行ってみたら何人かの友人がきてて、またべちゃくちゃ話してほかの友人たちが帰るころにほかの友人が




「で、今日、こたちゃんに話したいことがあるって、なんか深刻そうだったけど、なんだったん?」って。





そーやん。 



それで私きてみたけど、ええ話きいてないし。





「あ、別に、この間話してたことにすごい私も共感して、それについて語りたかっただけ。」






私が前ぽろっていうた「レストランのサーバーをこの歳でだと働ける時間は限られてる、だから今後を考えて年がいってもできる仕事をとるために、資格をとるとか、なんかしていかなあかんから、今ちょっと道を考えて模索中」ってぽろっといった言葉に彼女は、そーや、って思ったらしい。




彼女はシングルママ。


看護師だった彼女、こどもをこっちで生んですぐシングルになったため、こどもを預けながらこちらでナースになった。


私はそれをしなかった。



自分の英語の低さもあったし(←言い訳)、結婚してすぐ子供に恵まれ、その子を産んだら子育てで必死(←言い訳)、学校に行くなんて思うこともなく、行きたくてもそこまで働かなくてもいい環境などが私を甘えさせた。




結局、挑戦をせずそのまま理由付けしては、今までやってきた。



気がつけば50間近。


んでもって、今は年齢を理由にして損得考える。






彼女は私ががむしゃら働かなくても、いつも子どもといてあげれて、お稽古事もいろいろとさせてあげれてる。自分は子どもが野球をしたいといっても働かないといけないから、それをさせてあげる時間がなかった、といって私を羨ましがった。



私は、彼女が日本のライセンスを生かしてこちらでも免許をとり、子育てしながら自立して地位を築いてるのを羨ましいと思った。




自分にはない社会での地位を確立してる、というのが、同じ看護師として日本でやってきたのに、私はとても負けてる気がしてならなかった、でも、そこに踏み出すには年齢や損得を考えて、そこまでしなくても旦那が稼いでくれるという、という甘えと勇気のなさが臆病者にさせた。




別にそこまで頑張らなくても、いざとなったら家があって貸し部屋などして生きていけるし、、、、、。


でも、何があっても路頭にまようことない、続けられる安定した仕事を手に入れたい。





その間でうろうろしてる。



たくさんレジメを出しても、ことごとく落とされたり連絡がこないのに結構落ち込んでる私は、やっぱり資格やコースを取らないとサービス業以外の仕事は取れないという思いがでてきて、なんとなーく出た言葉に、私の友人は感化され、精神看護の勉強をするクラスにレジスターしたと。




「今までやりたいと思ったことを、いろんな理由をつけてあきらめるんではなく、とりあえずやってみよう、あなたが言うてた言葉に共感できてレジスターしたのよ!」って。




私、模索はしてるって言うたけど、そっからまだ進んでないで笑。





でも、彼女がまた前に進むのに私のこころも動かされ。




最近、52歳から学校にいきヘルスケアアシスタントの資格をとった、とか、英語の学校に行き、英語高校卒業レベルまで取れた、とか、そういうものを聞くと




自分は何を迷ってるんやろう、って思う。




友人はそれをとって今後に何が生かせるか分らんし、目標も何だかぼやけて勢いでやってもた、やってよかったのかとポロっとこぼした。



やって良かったかどうかなんて後からしか分からん事やし、今やりたいと思ったことに挑戦することがまず目標で、それにステップインしたなら、今度はそれをやり遂げるのが目標、やり出した事が無駄とは思えない、知識を広げればそれは必ず自分を豊かにしてくれる、って私は言った。




言いながら、自分でそのままそっくり返すわ、って思った。






学校に行ってもそれが将来使えるのか、お金も時間も無駄になるんじゃないか、って、同じことを私も思ってるんよね。



でも、人にはそうやって言える。





自分を豊かにしてくれる。






だから、インスピレーションで、やりたいを思ったことを私もしようと思って。


なんか、やりたい、なんか、興味あるっていうことを、取り敢えずやってみようかと思って。





例えそれが将来使うことがなかったりしたとしても、自分が充実することに意味があるような気がするし。





楽しんでいこう。