平凡な日々

 
 でもそれが一番幸せ。
 

最期をみとる

バンクーバー、雨が上がった後は一気に気温が下がってます。


今日はさわやかな秋晴れといった雰囲気さえある空気感。ただ今の気温22℃。
夏も終わりが、、、寂しいわ。



このコロナ騒動のなか、うちの家族でも大きな変化がありました。


それはお義母さんの病気。


ちょうどコロナが怪しいってなったころ、彼女が体調不良を訴えて、なかなかスムースに病院にいけない中、末期のがんであと6か月と告げられた。


そこからどうやって行くか兄弟と私とで話あい、高齢であるのでもう積極的な治療はしない方向で、最後までできるだけ家で過ごす。



最初は彼女もお出かけしてたりしてたけど、軽度の痴ほうもある中、コロナで外出禁止となってるのにも関わらずすぐ忘れてしまい出かけようとする、それをいかに阻止するか、それが最初は大変な苦労だった。


当時は自分のことをすべてやっていたのですが、それがだんだんと体力もなくなり、ある日家で下血をし、救急で運ばれては家に連れて帰り、再度下血しては病院で輸血し、の繰り返し。



そんなで体調の悪化もあって1週間前から病院に連れて行ったのを最後、そのまま入院で最期をどう看取るか、というところまできた。




本人は帰りたいかと聞けば家に帰りたいという。


そのため私は家に帰りたいというのであれば家に連れて帰ってくればいい、と返事。食事もほとんど摂れず、内臓に限界があるので輸液はなしの状態。
あとは短いのがもう目に見えているし。



痛みはないが、貧血、浮腫と胸水がたまっているのでかなり身体がしんどい状態になっている。
その状態を家で看取るのに、どこまで彼女の楽なことができるか、安楽を薬で対応するべきと思うが、それは家での介護では限界があること(薬の量の変更がすぐにできないし、経口でだめになった場合、注射で麻薬を打てない、見逃したすきに急変の可能性もある)
24時間の体制ではほかの人の助けがないと私の限界があること(夜中は付き添い介護士に来てもらうなど)などを話しあい。



家に連れて帰ってくるということはそういう事でもある、と旦那には話した。 
ひどい言葉やったかもしれん。 


でも、帰りたいと本人が望むなら帰らせてあげたいと思う気持ち。




そうなったときにはすぐにホスピスに、という考えもあったけど、思いのほか状態が悪くなるのが早かった。
覚悟を持ってみるしかない、と私は思っていたのだが、兄弟で話あった結果、ホスピスに連れていくことにしたらしい。




すんなりいったようだけど、旦那とはすごいもめた。



なんというか、やっぱり国の違いもあれば(日本のように訪問ドクターやナースの対応の仕方がまるで違ったり、あるいはない、ナースが来ても私の考えるものとずれがある)、お義母さんの帰りたいという言葉と体の安泰を考えるとどっちがいいのか、などで旦那と意見がすれ違う、事の運びがスムースにいかない苛立ち、そして決断の時間が急速に起こった。


この一週間で一気に決めないといけない状態になり、いろんな人がかかわったので(病院関係、訪問ナース、作業療法士など)やり取りなどの混乱などで怒鳴りあいになったことも。



身体的な介護はほとんど食事の用意と、トイレ、シャワーの介助やったけど、それがもっと終末期になるとおむつの交換、ベッド上での清潔となっていたのだろうけど、私はそれはできる自信があった、でも、それ以前に精神的に旦那とのやり取りでかなり疲れてた。



介護ってこういう所も負担になるのね、と改めて学び、お義母さんに申し訳ないと思う気持ちもでてる。




最期まで見てあげればよかったと思うが、旦那はすでに家では厳しい状態だともいってた。



病院から今朝ホスピスに移ったと連絡があり、今日初めてお義母さんに会いに行くことができる(コロナ騒動のため、一回に2人までの入室が可能だが24時間いつでもよい)。




どんな感じで死んでいくのか、いつ死ぬのかなんて自分で決められない。
とても考えさせられる、この半年の介護期間です。