こみ上げるもの
バンクーバー、今日も清々しい一日です。
昼までゆっくり過ごしたあと、下の整理をしに行こうかとまた開始。
几帳面な人で、思い出やつながりをとても大事にする人やったんやなあ、というのが改めて分かるもの、結婚式の招待状、手紙の数々、住所録、大量の写真がキャビネットから出てきた。
それを一枚一枚確認して、要らないものは捨てたりリサイクルペーパーに出す。
そんななか、ずっしりと重い紙の束が。
お義母さんが勉強してた英語の教材です。
これを見てこみ上げるものがありました。
自分たちの未来や子供の将来を考え、親せきを頼って渡った言葉も風習も違うカナダ。
時代は変わっても、移民という立場で立ちはだかる壁はいつの時代も同じ。
いや、私が生きる今の時代よりも、もっと多くの差別や偏見もあっただろうし、今みたいに顔を見たければすぐにLINEであえる、なんて物もない時代、もっともっと大変だったに違いない。
この社会にいかに溶け込もうかとなやみ模索して、言葉の壁にぶつかり、苦労も悔しい思いもしてきただろうと、そう思うと胸が熱くなりました。
「うちの親は英語が話せない」なんて時には子供に言われながら。
「両親がどんなに必死で、勉強して、一生懸命あんたたちを育ててきたかということを、忘れずに感謝してほしい」と旦那に思わず言ってしまった。
分かってる、って旦那は言ってたけどね。
思いを巡らせながら、時には笑いながらやってる遺品整理です。
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