平凡な日々

 
 でもそれが一番幸せ。
 

文化の違いか心構えの違いか

今日もしとしと雨が降っております。
落ち葉が道々で踏まれたり、盛り上げられたり、当たりはすっかり冬景色。







今日の記録は重いです。






今日、長らく借りていた医療器具を赤十字のほうに返品に行ってきた(って今頃)。



実際あんまり義母が使いたがらなかったので、使用度としては少なかったけど、それでもこういう所があるというのも分かったし、助かった部分もある。



返品はいたって簡単で、赤十字のオフィスの外に並べて帰るだけで良かったみたい。 とりあえず返品に来たことと感謝を述べて帰ってきた。




義母の遺品整理や四十九日が過ぎてほっとしてから、あんまり階下に行くことがなかった私。


久しぶりに足を踏み入れたらやっぱりがら~んとした部屋は寂しいものがあり。 まだまだ使ってたものとかが残ってるから、それを見るのがなんとなく嫌で、片付けも旦那に任せたりしてるのもあるのやけど、それでは旦那がかわいそうかなとも思う。



けど、なんとなく行かない。




時々に思い出すのが、やはり最期の瞬間で、ホスピスに入院してた義母の最期に旦那を会わせてあげられなかったのが悔いとして残ってるからそれを思いだす。



私が看護師として働いていた当時、もちろん患者さんの最期を看取るという場面はありました。 8年間という中で実際看取ったのは本当に実は数えるほどしかない。よく当たる人と当たらない人というのがあって、私は完全にその後者。 


でも、患者さんは最期行くときに看取ってくれる看護師を選んでいく、なんてことも看護師内で話すあるあるではないかな?




そんな中、私が一番死を看取ると言うことで大事にしてたのが「最期は1人で逝かせたくない」だった。 そんなのは私の身勝手な考えであって、一人でひっそりと逝きたい人もいるかもしれない。 そうやって選んでいく人だってもちろんいるとも思うし。


でも、私の考え方はこうで、できるだけそうするように関わった。




病院ではモニターがつけられ、血圧計がつけられて、尿量が見られて、と最期がいろんなチューブでいっぱいの患者さんが多い。 心拍や波形、血圧の下がり具合をみてできるだけ家族が会えるように連絡を入れるようにしてた。家族がいない人は私が声掛けながら送ったこともある。






こちらのホスピスは違う。


日本もホスピスもおそらくそうと思うけど、一切のモニターがなく、ただ安楽にして好きなように時間だけが過ぎていくだけ。
患者の反応の鈍さ、末梢の血液循環の度合いなどで判断するという。



最期の日は私もそこにいた。


どういう風に最期を看取りたいか、と質問がされ「最期は立ち合いたい」と伝えていた。
そしてその瞬間をどう判断するのか、と聞けば、特にバイタルも測らないし、回診するだけ、ということだった。


でも、と、足元のシーツをまくって、青黒くなった足をみて「もう近いからね、もって今晩か明日か」と言われた。





その夕方、連絡が来たのは彼女が逝ってしまった後だった。


慌てて病室に駆け込んだ時にはすでに冷たくなりかけていた義母。




失敗したと思った。 私達が部屋を去るときには脈がいつもと変わらずだったから。 旦那には脈が落ちるときは一気に落ちる人もいるし、徐々に落ちる人もいるし、とは伝えていたけれど。




「一人で逝く人もいるし、会える人もいるしね。 でも苦しまなかったよ」とあっさり言われた。



その一言が私には突き刺さってしまった。


それはそうやけど、それってあんたの気持ちの持ちようで何とかならんかったの?
って、実は思ってしまった。





モニターをつけていなくても、脈拍は取れるし、脈拍の強さから血圧がどれくらいまで来てるかというのもある程度判断できへんかったのかなぁ、とか。


死期が近い患者の家族にいかにして最期間に合うようにしてあげるか、って気持ちがあったかなかったかは分からないけど、なんだかなぁって。あっけないなあって思ってしまった。


とはいえ、一気に心肺が下がる人はいるから、結局は誰も分からない、タイミングなんですけど。



ただモニターがないなら、それなりの見方や頻度があったのでは?と思ってしまった。




でも




「最期をどう迎えるか」は本人が選んだことであって、それを尊重するというやり方なのだろうし、そういうのが本当は普通なのかもしれない。


そんな手厚い看かたをする人たちではなかった、というのもそうかもしれない。


とても私がアジア的な考え方で、彼らが個人を大事にする(患者にも家族にも)考え方なのかもしれない。 


居なかったのはあなたが選んだ選択。去らなければ最期を看取れたでしょ、的な?






ま、いろんな所にはいろんなやり方があるもので、それがすべてうまくいくわけでもなく、それがすべての人に当てはまるわけでもないのですが、なんとなく、いつもその事が頭に浮かんで来ては、後悔が残ってくる。
実際私もそれらのことを読み間違ったのやけど。



もちろん誰を責めるわけではなく、今更どういったって結果は変わらないのですけど、まだまだ私も甘く、カナダの多様性をわかってなかったのかなぁ、と締めくくらせていただきます(笑)