話をしてわかること
今日もお天気がいいです。
今日は友人たちとトレイル散歩に行くはずやったけど、お年頃の頭痛と筋違いキャンセル。
一瞬の隙をついて筋違い、彼らの襲撃には本当に感心します。
朝から薬飲んでオンライン学校へ。今日はテストです。
窓から入る光はあったかいね。
今回のクラスの先生は初めての女性の先生。
最初に「私はあなたのインストラクターです」っていう挨拶のメールをもらって初めて彼女の職歴や、バックグランド、生徒へのメッセージをみれるのですが
そのなかで「私は生徒を助けるためにいるので、なんでも相談質問してください、それが私の喜びでありモットーです」みたいに書いてる。
それ、皆んなよく言うのよね。
初めてオンラインの授業を受けた時の印象は、
「とっつきにくそう」
言葉の使い方がなんというか、結構ストレートでさほど表情がなく淡々とことを進める。
でも、授業の仕方とか、サポートとかは今までにないくらい丁寧にしてくれるし、きちんと疑問に答えてくれる。
言うてること、あってるわね。
でも、なんとなく、なんというか、本当にきちんと説明してくれるし、きちんと授業を毎日レクチャーでしてくれるし、この先生の授業の時間や進め方はクラスに行ってるのと本当にほぼ変わらん。
今まで受けてきた先生は2人。
そのうちの一人は文句を直接言ったくらい。
本来の教師としての在り方もそうやし、授業のやり方も十分ではない。
そのくせ、口だけは「なんでも言って。助けるのが僕の役目だから」やった。
土曜に締め切りのアサイメントの為に、通常ある木曜日は授業はなし、でも、この先生は新しいツール(本当はみんな使えるようだが)で、一人10分の時間割で個人的に質問できる時間をとれるようにしてくれてる。
アサイメントの質問があったので、苦手意識がある中予約をとってみた。
話してみると違うね。
話し方やら、表情は硬いのだけど、その彼女の本質というか、そう言うものがちらほら見え始め、彼女がいかに第二言語(ESL)として話す英語の人を理解してて、一つ一つ丁寧でそして適格に説明してくれる。それが英語を習うだけでなく、心理というか、そういう所からのアプローチで出てくる説明の仕方というか。
問題点は何なのか誘導して、明確にして、それを解決するっていう感じかな。
この人は何に困っていて、何が必要なのかと分析できている人、やと思う。
これって本当に重要なんよね。
出てくる言葉はすべてを表現しているわけではなくて、その奥に隠されてる本来、大元に伝えたい事はいったい何かっていうのが本当に分かってて、答えを導いてるって感じがする。
私はアサイメントの書き方とか、疑問点を質問するために取った10分やったけど、しまいにはあまりにも高いレベルに置いてきぼりになりそうだ、という不安相談室みたいになってた。
でも、実はその不安は今までにやったことのない課題(議題)だから戸惑っているだろうけど、よくよく考えてみれば、エッセイやアサイメントの書き方は本来今までと習っていることの繰り返しであり、何らやり方は同じなのだと。形式、何を伝えたいのか、それを順に追えばいい。
それを言われて我に返ったというか。
確かに。
お題は違うが、その課題で何を求められているのか、ということを考えていかないと。そしてそのツールは今まで習ってきたのを反映すればいいだけ。
わからん単語が出てきたらそこで戸惑って、わらわらして、そこで思考が止まってしまうというか、そんな感じ。 でも実は全体的に見たらその単語が分からなくとも何となく把握できる。
そのポイントに気づくか気づかないかで、この後に続く力が出るか出ないか、みたいな。
ESLあるあると思うわ。
それをわかって説明してくれる先生だった。
やっぱり話せんと分からんことはあるね。(って勝手に苦手意識持ってただけやけど)
最後に、「こた、あなたが思ってることは、あなただけでなくてたくさんの人が感じてることよ。テストをテストと思わないで。自分がどこまで力があって、何が足りなくて、どう力をつけていくかの目安であって、それを助けられるのは私だけ、だから私がここにいるのよ。なんでもいつでも質問して。必ず時間は取るし、説明は絶対にするから」といった。
いや~、ほんまにちょっと(ってかかなり)このクラスに追いついていけるかって思って、途中でやめるかも、、、って弱気やったんやけど、この先生やと英語だけでなく、いろんな学びができそうな気がする。
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